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ヤコブの手紙第78回

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。ヤコブ516


 前節で病気の人のために祈ることについて語られたが、その続きでこの節が語られているのかもしれないし、一般的なこととして語られているのかもしれない。互いに罪を言い表し、互いのために祈るよう勧められている。もちろん、誰にでも、どんな罪をも告白しろ、と言っているのではない。


 私たちがイエスを信頼し始めると、罪を全く犯さなくなるわけでないことは、経験的にもよくわかる。完全な人はいない。だから罪を犯すこともある。そのことは神もよくご存じだ。しかし、それにどう対処するかも教えられている。罪を告白する(言い表す)ことだ(Ⅰヨハネ19)。罪を言い表すのは神に対してであり、すべての罪を人に対して言う必要はない。罪を言い表すなら、赦される、それが神の約束だ。

 



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# by Bible-door | 2019-01-15 14:13 | ヤコブの手紙から

ヤコブの手紙第77回

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ヤコブ5:14,15

 

 病気の人がいれば、教会の長老たちを招くよう勧められている。病気の人も苦しんでいる人のカテゴリーに入るだろう。前節では自分で祈ることが勧められている。しかし、この箇所では長老たちを招いて祈ってもらうようにと語られる。


 病気になるとは、肉体的な問題をかかえることだが、同時に心が弱ることも多い。そんなとき、病人はいろんなことを考える。悪い結果を考えてみたり、何とかならないかと様々なことを試してみたり、医者を変えてみたりと。もちろん、当時は今のように医学が進んでいたわけではないので、それほど多くの選択肢があったとは思えないが。


 いずれにせよ、病気になると客観性を失いやすいのではないだろうか。そんなとき、教会の長老たちを招き、祈ってもらうことは、大いに意義のあることだと考えられる。当事者がたいへん主観的になってしまっているとき、長老たちに祈ってもらうと、それだけでも、当事者の思いが客観的になるのを助けてくれる。単に客観的になるだけでなく、神の視点に立つことを助けてくれる。そのことが大きいように思われる。




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# by Bible-door | 2019-01-14 11:12 | ヤコブの手紙から

ヤコブの手紙第76回

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。ヤコブ5:13


 ヤコブの手紙の特徴だが、話題が次々と変わっていく。そのため、旧約の箴言のような印象を受ける。5章の前半では、「~してはいけない」という注意が中心だったが、ここでは「~しなさい」と勧められている。苦難と忍耐についてはすでに語られたが、苦しみに会うときどうすべきか、ここでは具体的に語られる。祈れと。よく、苦しいときの神頼みと言われるが、それとどこが違うのか。


 苦しいときの神頼みは、自分ではどうしようもなくなり、苦しまぎれに神仏に頼るということだろう。そこには、頼む相手との日常の関係がない。ただ、苦しいので神仏に助けを求めたくなる。それは、人間に宗教心がある証拠だとも言える。しかし、ここで言われていることは、それとは違う。苦しみに会うと、人は文句を言いたくなる。「何で俺だけが・・・」「あの人のせいで・・・」。後悔することもある。「あんなことさえしなければなあ・・・」。また、自分を責める人もいる。不条理に怒る者もいる。いずれにせよ、苦しみにどう対処していいかわからず、ある種のパニックに陥りやすい。




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# by Bible-door | 2018-12-27 17:26 | ヤコブの手紙から

作文の秘訣

作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね。
井上ひさし
自分がいちばん大事にい思っていること、辛いこと、嬉しいことを書く。一人ひとり少しずつ違う。「その違うところ」を平明に書く。いい文章はそのことで人の心を動かすと、作家は『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』で語る。彼は生前よく、「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」とも語った。

朝日新聞(2018年12月23日)「折々のことば」鷲田清一 

# by Bible-door | 2018-12-27 17:11 | 心がうなずいたいた言葉

ヤコブの手紙第75回

5:12 私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。

 マタイ5:33-37で同じようなことが語られている。現代の私たちの生活では、ここで言われているように誓うことはほとんどない。しかし、当時は誓うことがもっと身近なことだったのだろう。一説によれば、神の名によって誓うことは絶対守るべきだが、神の名によらないものはその限りではないとし、天、地などを指して誓うことを考えだしたという。誓うことは誓うが、逃げ道を用意するのだ。そうなると誓いの意味がなくなってくる。


 現代の私たちには、この箇所はどういう意味を持つのだろう。ひとつは、語ることばに注意せよということだろうか。無責任にことばを語らないようにという戒めともとれる。神が私たちに語られるとき、そのことばは真実だ。例えば、あの人の話はあてにならないとなると、人間関係が築けない。神が真実を語られるように、私たちも真実を語るように勧められているのではないか。かといって、冗談も話せないということではないが。

 



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# by Bible-door | 2018-12-21 11:44 | ヤコブの手紙から